じいちゃんのベルト
祖父の葬儀に参加してきた。
朝4時に起き、車を飛ばして遥々福島へ。約15年ぶりに訪れた福島、そして祖父の家はほとんど変わっていなくて本当に懐かしかった。
亡くなった連絡を受けてからも葬儀中も祖父が亡くなった気がしなかったが、葬儀を一通り終えて祖父の家に戻った時、主人である祖父がこの家にいないことで実感した。ああ、祖父は亡くなったんだ、もうこの世にはいないんだなと。
こう思えただけでも、本当に葬儀に参加できて良かった。行かなかったらきっと実感がないまま、祖父という存在が曖昧なまま過ぎ去っていったはずだ。
今日、ベルトを忘れてじいちゃんが使ってたベルトを借りた。そして、そのまま形見分けしてもらった。大事にするよ、じいちゃん。
ありがとうございました。
俺のじいちゃん
祖父が亡くなったと連絡があった。
90歳。かなりボケも進行していて、昨年からやっと施設に入ったものの、介護で行ってる母はかなり大変だったようだ。
俺が実家から出てから20年間、色々と事情もあり3回くらいしか会っていない。その時の印象は腰が曲がり、いまいち俺を誰だか分かっていないし、驚くほど年老いたなというものだった。最後の数年は、老化と様々な外的要因によって、じいちゃん本人もかなり辛かったと思う。
今、じいちゃんのことを思い出すと、酒を飲み少し上機嫌になって、「ワハハハ」っと豪快に笑う優しい顔ばかりが頭に浮かぶ。離れて暮らしていたので、正直言ってそんなに深い関係ではなかったけれど、俺にとって自慢のじいちゃんだった。
じいちゃん、ゆっくり休んでください。一度くらい一緒に飲みたかったのが心残りです。本当に本当にありがとうございました。